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今治城

  1. 2010/06/18(金) 01:58:24|
  2. お出掛け|
  3. トラックバック:1|
  4. コメント:0
今治城
 先日ご紹介したマンガ『風雲児たち』の影響で、
 このところやけに歴史づいております。

 




 
今治城は、あの熊本城の加藤清正とも並び称される築城の名手、藤堂高虎が作ったお城です。

今治港
 天守からは、瀬戸内海と今治港がきれいに見えます。

 お堀の一部に船の出入り口を設けて、
 軍船を直ちに瀬戸内海に漕ぎ出せるように工夫しており
 それが現在の今治港の原型になっているのだとか。


内堀
 お堀には瀬戸内海の海水を引き入れていて、
 ボラやサヨリなどの海水魚が泳いでいるそうです。

 大規模な海城としては香川の高松城が有名ですが、
 こちらもなかなかのものなんじゃないかと思います。




さてこの藤堂高虎、はっきりいって非常に好き嫌いが分かれるタイプであります。

かなり大雑把に言えば、
この人の生涯を現代的な感覚で捉える人は「好き」、
戦国時代好きで歴史ロマン派の人は「嫌い」という感じに分かれるみたいです。



好き派の人は、一言で言うと彼の処世術を高く評価しているようですね。

近江の田舎土豪の家に生まれて、次々と仕える主君を変えて少しずつのし上がってゆく姿は、
現代なら自分を高く買ってくれる会社に次々と転職を繰り返すエリートの姿を連想させます。

もちろんそれが出来るのも、それなりの実力と努力あってのこと。
もともと優れた槍の使い手だったようですが、それだけでは出世には限界があると感じ、
積極的に築城技術や兵法を学んで自分を磨きます。
そして、ついには加藤清正と肩を並べる程の築城の名手と言われるまでになります。

生まれ持っての才能でなく弛まぬ努力で自分を磨いた分、自分の器をよく分かっていたわけで、
それは同時に自分を上手く使ってくれる主を探す能力を磨くことにもなったのでしょう。
それが、次々と主君を変えることに繋がった原因なのかもしれません。

そんな「時代のニーズを感じ取る能力」と「自分を磨く姿勢」が秀吉や家康に高く買われて、
最終的には田舎侍から32万石の大名になったのですから、
確かに「出世のお手本」みたいに好意的に評価されるのもわかる気がします。



逆に嫌い派の人は、この人を「おべっか使い」とか「タイコ持ち大名」などと
けちょんけちょんに貶しまくります。

彼は秀吉の死後、さっさと豊臣を見限って家康に接近し、
来たるべき決戦に向けて豊臣方の緒将への調略に奔走します。

そんな浮気性(?)の彼ですから、
関ヶ原の約15年後に家康が豊臣を滅ぼすために起こした大阪の陣では、豊臣方から
「こっち来いこっち来い、重く取り立ててやるからこっち来い」
って感じで策略のターゲットにされたりしまして、当然家康方の中でも微妙な扱いを受けます。
彼はその嫌疑を拭うために家康軍の先鋒に立ち、結果的には功績を挙げて疑いは晴れるんですが、
やっぱりそうゆう噂が立ってしまうくらい、周りの緒将からは疎まれていたんでしょう。

そもそもこの時代は、家来は主君に絶対の忠義を立てるのが美徳とされた時代でして、
主君が死んだときには後を追って自刃することも多くあり、
四代将軍・家綱の時には『殉死の禁止』が武家諸法度に明記されるほどでした。
したがって、幼い頃に養子として人質同然に差し出されたり
自分の主君より上位の家に認められて取り立てられたりするなど
いくつかの限られたパターンを除いては、
仕える主君を変えるとゆうのは「不忠」「裏切り」と捉えられても仕方のないことだったのです。

そんな中、若いうちから主君を自分の意思で見限ってコロコロと変えたりしていた高虎は
はっきり言って「武士の風上にも置けないヤツ」だったわけです。

そしてそのイメージは、江戸幕府最末期の鳥羽・伏見の戦いのエピソードによって増幅されます。

高虎は家康から厚い信任を得ていて、家康の最期の時などは枕元に侍ることを許され
「もし西軍がまた攻め上がってきたら、藤堂家を前に立てて戦え」
とゆう遺言まで残されていたほどでした。

それから約250年の後、まさにその状況になった幕府最後の抵抗である鳥羽・伏見の戦いの時、
幕府軍は(家康の遺言に従ったのかどうかはわかりませんが)もっとも重要な拠点である天王山に
この藤堂藩を配置します。

ところが、藤堂藩は形勢不利と見るや、いともあっさりと新政府軍に寝返っちゃったのです。

これはヒドイ!
関ヶ原のときの小早川秀秋にも匹敵する裏切りじゃないですか!?
イメージ悪いですよねえ。

そのせいで、藤堂家は「先祖代々裏切り者の家系」みたいなレッテルを張られちゃうわけです。

もっとも、これは高虎が死んで約240年も後のお話ですから、
このことで高虎が貶されるのは筋違いな話ではあるんですけどね。。



そんなわけで評価が分かれる高虎ですが、
ちなみにあたしはどっち派かというと、どちらかといえば「嫌い派」ですねえ。
数年前に大河ドラマになった「山内一豊」もそうですが、
処世術で上手に時代を泳ぐタイプの人は、あんまし好きになれません。
やっぱり戦国武将は主君への忠義を重んじて、一本気にカッコよくあって欲しいなー、と。

なんて言いながら、自分は3回も転職してるし
言ってることとやってることが全然一致してないですけどね。

まぁ自分のことは棚に上げてしまいましょう。。。



この間は広島城に再訪したりもしたので、お城のエントリが続くかもしれません。

他のネタも書かなきゃとは思っているんですが、どうぞしばらくお付き合いくださいな。。。
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